人生なんとかなるよ

人生なんとかなるお

マラソン始めたい

年々音楽や映画にたいして感動しなくなってきた気がするので、なにか新しいことを始めたいなと思う。としとるとともに感性が鈍くなるというか、何事にも感動しなくなるというか、生きることに飽きがくるというか、毎年熱心に行っていた夏フェスも今年はいったんお休み。

身体もそろそろ鍛えないと若さをキープできないということで、お金のかからないマラソンを始めたいなーと思っている。そう、思っているだけ。。
いや、まずは形から!ってことで、ランニングシューズを購入予定。あくまで予定。。

でも何か新しいことにチャレンジしないと生活がマンネリ化。やっぱりひとりで生きるの飽きたよねー。気づけばインスタで他人の子どもの写真みて癒やされてる。。。

せめて犬が飼いたいから、誰か一緒に住んでくれ。。

来月から新しい仕事だけど、恐らく来月分は交通費がでないと思う。まだまだ倹約生活続行しなきゃいけなさそうです。今年に入って家計簿付けはじめ、今のところだいたいの生活費は月7~8万で収まってます。食費に関してはまだまだ改善の余地があると思う。


SNSの時代

熊本県で最大震度7地震発生。

母方の実家が熊本なのですが、何とか連絡が取れ大丈夫だったということでしたが、今後とも注意が必要かもしれません。余震がめっちゃ怖いらしいです

NHK福岡に東京に居たアナウンサーが異動したっぽい、東京で見慣れた顔だし、なんか安心。

Instagram長澤まさみが、女優のりょうと笑顔で写ってる写真をアップして、それに対して、タイミング、不謹慎といった非難コメントや、別に関係ないじゃんとか、その笑顔に救われるなどの擁護するコメントが合戦してる。

SNSで少し情報を発信するのにも慎重に考えないといけないなーと思う。

InstagramTwitterみたいに災害時に活用できる情報ツールの一つになればいいのにと思う。(もうなってる?)


五月から状況が変わりそう

試験前の大事な時期ですが、前職の同期から仕事に空きがでるかもしれないからどうか?と言われました。

迷いましたが、やはり今の仕事人間関係がなさすぎて、休みが多すぎてこのままでは表情を失ってしまいそうなので(元からないに等しい)、少し遅めの春ですが5月から非常勤ですが、フルタイムで働く生活に戻すことにしました。

ほぼニート生活からの脱却です。こんな生活を続けてたらまともにはたらくことができなくなるという危機感があったのは事実ですが、ぬるま湯で最低限の出費で暮らす生活も私にあっていなかったというわけではありません。

なんだかんだご飯をじぶんでつくって食べて、好きなときに寝て好きなときにおきる。みんなが働いている時間に部屋でのんびりしている。最初の方こそ罪悪感がありましたが、最近になっては以前どのようにフルタイムではたらいていたか思い出すことが困難になりつつあります。

このような気楽な生活から抜け出すこと、つとめだして半年でまた職を換えること、それに伴う手続き諸々、半年とはいえ、小娘に優しくしてくださった今の職場のおばちゃんたちには感謝しています。

はて、また辞めさせてくださいってゆわなきゃ。そしてまた新しい人とのであい、1からなれていかなきゃいけない。先を思えばこそすごく不安だけど、振り返ってみたら大したことなかったなというのがいつもの自分。

最近は少しストレス解消に努めている(勉学から逃げている)からか、ストレスから来ると思われる胸の真ん中がぎゅーっと痛む症状がなくなりました。いいことだ。

人が年度末に忙しくしている中、勉強のリフレッシュに『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観てきました。すごくよかった。黒木華ちゃんがどんどん遠い存在になってしまったという虚無感、いやはや、同い年の人が活躍してるのをみると、焦るというか、こうも人生が違うものかと思ってしまう。でもこの生活を選んだのも導いたのも間違いなく私なので。

人と会ってないとどんどん卑屈になってだめになって表情筋がどんどん衰えていくので、夏以降は積極的に行動していきたい。あと、勉強だけじゃなくて、自分をどう見せるかというのも勉強していかなきゃ。(遅すぎる対人間意識の芽生え)

こんなに空が青いのに

こんなに空が青いのに、お金のことしか考えてないのって馬鹿馬鹿しい。

家族(弟)のことで、いま実家の雰囲気が最悪とのことお父さんからのメールで発覚。
母とは今連絡を取らないようにしてる。

弟&母VS父の構図。誰が悪いってあまりにも怠けた弟とそれを擁護する母、弟がそんなんになってしまったのに放っておきつづけた父、甘やかす母に何も言えなかった父!

ワタシの両親にかんしていえば、何故愛情も十分に注げないのに三人も子をもうけたのか。何故父は母が社会的に人間的に未熟であることを知り得ていながら、子育てに参加せず放任したままだったのか。自分たちの愛欲だけで子どもポンポン作ったくせに。
…………
なんて、口が裂けてもいえねーー!
暫く実家とは距離をとります。

父頑張れ、なんとか弟を真人間とはいわず、最低限の義務を果たせる人間に。

家族問題とお金はきって切り離せない関係。ここ2週間は父と連絡を取り合ってそのたびに泣いていたけど、ワタシも人のことに首を突っ込む余裕がないんだ。

にしても、父がワタシに愚痴ってくるなんて初めてのこと。それだけたよりにされているのかとうれしい反面、もう娘に愚痴るほど、どうしようもなく父は困っている、悲しんでいる、泣いている、疲弊している(適切な言葉が出てこない)。

あんまり家族のことは考えないようにして、楽しく生きることを考えようと思った。一人でも楽しく生きれたら最強!

春なんだし桜の写真でも今年はとりに出かけようかな!

奨学金さえなければなあ。と思う

奨学金があるから、正社員につかなければなあと思う。

社会人四年目、現在、契約社員。なんやかんやあったとはいえ、その敷かれたレールを降りてしまった、実家にも頼れない、親しい友人恋人もいない、一人で生きていくことを決意してる私ですが、何度も思うことがあって、それは奨学金さえなければ、このままゆるーくいきていけるのにな。ということ。

もちろんいろんな焦りはあって、ふつうに新卒で民間でやめずに働いている友だちとはそれこそ経験値や成長度やコミュニケーション能力などあらゆる面でどんどん差が付いていって、天と地の差があるけれど、それは別に何の問題もないのであって、たまに会ってその違いを痛感させられるくらい。
新卒でおばちゃん上司にいビラれてた友だちが四年目ともなれば、いつのまにか新卒女子をいびる側になってた。のんびりやってきたことをそのときはっとさせられた。

私はと言うと、結果的に職を転々としてしまってて、そのときそのときで言えばそうするしかなかったけれど、ほんとにこれが私の望んでたことかときかれれば、全然違う。

これからどうしていくかというのは、定まっているけれど、つきまとうのはお金の不安。病気の不安。

26歳にもなれば結婚して子供を持つ同世代も多い。結婚はまだしも、子供を持つなんて選択肢私にはない。だって子どもなんか持ったら、私の奨学金誰が返済してくれるの?三百万四百万なんて、生涯でみれば、ほんの些細な一部のお金になるかもしれないけれど、月13万の手取りで暮らす私(これにバイト代五万が追加)が、月八千円、ボーナス月には八万円、これにかんして言えば、ボーナスがないのに返済できると思いますか。
は!奨学金制度がもしや少子化に貢献しているのでは!という仮説が成り立つ!?これは偏った志向で、奨学金返済しながらも慎ましく幸せに暮らしてる家庭もあると思うと、私の屈折した考えは一体どこからきたんだろー。やっぱり大学でて一度はきちんと就職したけども、結局貧乏の遺伝子からは抜け出せないんだよね。

奨学金は正社員になることを前提として返済制度が成り立っているのかも知れないけれど、今の時代、経済状況、正社員にならない、なれない新卒もいる。そうかんがえると奨学金制度は成り立ってなくないですか。
今の非正規社員がたくさんいるなかでも、日本は高等教育に対して費用を割かないんですか。

奨学金さえなければ、こんなにも焦燥感に駆られて生きなくてもいいのにな。私の親も無知なので、利息なしの奨学金があるということをしらべてくれなかった。あと、思い出せば高校の時の先生も第二種借りられるのなんか、学年で数人だよと取り合ってくれなかった気がする。不安定な身分になってからいろいろ思うことは、これじゃともだちなくすなーってこと(人とご飯いくお金さえ捻出したくない)と、心が狭くなったこと、いろんなことを他人のせいにする。その性質が強くなった。決して前からそうではなかった訳ではないけれど。

お酒のんでいろんなことを考えてしまったけど、気持ちよくなったところで、勉強再開(お酒のみながら勉強って。。。。)

東京にもおいしいたこ焼きはありますか。

急にたこ焼きが恋しくなって、たこ焼きが食べたい食べたい。

明日はたこ焼きをかって帰ろう。でも、、はて、たこ焼きってうってますか。屋台のやつ。

最寄り駅じゃみない。しかも、銀だことかじゃなくて、わなかとかくるるとかおいしいやつが食べたい。はて、東京にはないのか?

初めて大阪が恋しいと思ったなあー。



調べたら足をのばせばいろいろありそうだけど、わざわざたこ焼き目当てに下北沢行くのもどうよ。
平日に気軽に遊べる友達が欲しいぜ!




自分より下か上か

 

自分より下の人と付き合うのはすごく楽だし、気を使わないし、気取らなくていいし、格好悪くてもいいやって思うけど、たまにつまらないよーなんか違うよなーなんか物足りないなーと思う。男女問わず。

 

自分より上の人と付き合うのはすごくわくわくするし、楽しいし、刺激的でもあるし、でも、気を使っちゃって、気疲れするし緊張するし、本当の自分をさらけ出すことができない気がする。

 

私がどーでもいいと(下に見てる)思ってる男性と二人でご飯に行くことをどう思うか、行く価値はあるかと聞いたら、小学校からの親友が(最近会っていないけれど)、「その人といるところを周りの人に見られて、恥ずかしくないかどうか」ということを価値判断の基準にしているらしく、その友達のことをかなり軽蔑した。ショックだった。同類だと思っていた親友が、自分とかけ離れた価値観を持っていて。人の目を気にして生きているのか。ましてや、高校生じゃあるまいし、大学の学食でご飯を食べるわけじゃないし、全然知らない人たちの目を気にしているのか。単純にそんなことで、人を値踏みするのかと理解不能でショックだった。そんなことをいう自分は人といて自分が恥ずかしいと思われていないと思っているのだろうかと(言いはしないけれど)。

 

そう、その友達を下に見ているのです私は。こんなことは誰にも言わないけれど。気を使わないで楽なのです。かっこ悪い私のままでいれるから楽なのです。基本、友人になる人ってやっぱり自分より上の人ってそんなにいない、私の場合は特に。同等か下か。上の人もねー遊びに誘いたいけど、ハードルが高い。

 

でも、その友達のいいところは、なんでも楽しいことに持ち込もうとする。ポジティブ、楽観的。馬鹿話ができる。(根からの大阪人だからかな。やっぱ面白い)

いいところがたくさんあるのです。

その友達が私と付き合うメリッってなにかなーって考えたら、そんなにないのです。

付き合いを続けてくれているだけで、ありがたいそんな友達の話でした。

 

結局、どーでもいいと(下に見てる)思ってる男性と御飯に行ってきて、その人に合わせて話すこともできるんだけど、やっぱね、しょーもないんですよね。まるで面接官にでもなったような、気分になるんです一問一答質疑応答。固いんです会話が。笑いのエッセンスを求めてしまうのは、関西人特有のものですか。

 

でも、面接官になったような気分にさせてくれる人としかご飯に行けない私も、結局その程度にしか過ぎないのです。

 

 

今日は休みです。勉強を少し休んで、映画「キャロル」「ビューティーインサイド」見てきます。その前に掃除洗濯。